図書館より。岩波新書。副題、生還者たちの証言から。
元は毎日新聞の夕刊の連載であるから、安心のクオリティを味わえる。「大和ホテル」と生活の豊かさを謳われたトラック諸島時代から、レイテ海戦での反転、そして沖縄水上特攻。
特攻については昭和天皇の責任を仄めかす向きがある。
*抑々これに至れる主因は軍令部総長奏上の際航空部隊だけの総攻撃なるやの御下問に対し、海軍の全兵力を使用致すと奉答せるに在りと伝ふ(宇垣纏)
そしてクライマックスは生還者と遺族のいま。
#「大和の名誉のために、あそこで沈んでよかった」という生還者も、三〇〇〇人以上もの命が奪われたことを「よかった」と思っているわけではない。せめて彼らの死に意味を与えたい、ということだろう。
大和の名誉とは、接収され艦橋に星条旗を掲げられ、原爆実験の的として沈められた戦艦長門を念頭に置いた発言である。
*遺族である妻が亡くなった。墓には夫の骨はない。「おばあちゃん、かわいそう。寂しがってるよ」と孫。息子は遺骨を持って海に向かった。なるべく近いところを通る客船を探し当て、船長に頼んだ。「父親が大和に乗っていました。母の骨を撒きたい。船が一番近づく時間を教えてください」 「わかりました。航路を少しずらして、できるだけ近づきましょう」と船長。「汽笛を鳴らしましょう」
*遺族である妹は、同世代の人と集まるとき、大和の話題が出ることを恐れた。「大和なんて、何の役にも立たなかったんじゃ」という話が出るからだ。二〇〇五年四月に開館した大和ミュージアムで彼女は救われた。前代未聞の巨艦を建造するために生まれた技術は、日本が造船大国になることに貢献したことを知ったからだ。「兄が乗っていた大和は、無駄じゃなかったんだな、って」
「読経」のエピソードは涙を禁じ得ない。
*和歌山に生還者の住職がいる。戦友から慰霊祭の導師を頼まれた。「できるわけがない。涙でお経が読めない」「大和は海軍の象徴。地方の小さな寺の住職でなく、ふさわしい人がいる」
#「相手が怒鳴りましてね。『乗っていたあんたのほかに、だれがいるんだ。手を合わせてくれるだけでいい。頼む』と。」
#慰霊祭で住職は読経に集中しようとした。しかし、ある場所でついに言葉に詰まる。
#慰霊の終わりを告げる「蛍の光」が流れると、遺族の女性が紙テープを投げ入れながら叫んだのだ。「あなた、もう帰らないといけないんです。早くこのテープにつかまってちょうだい。一緒に帰りましょう。はやくつかまってちょうだい」
#深海に眠る夫の遺骨は、永遠に戻らないかもしれない。せめて魂だけでも連れて帰ろうとしたのだろうか。
住職は檀家から「もう法話はいいから、大和の話をして」と求められることもある。
大和が進水した場所は、埋め立てられ、船体部品の組立工場になっている。しかし屋根の鉄骨は当時のものが残っている。
#「大和を造った所で働いているのは、造船マンにとっての誇りです。それに大和は沈んでも、技術は沈まなかったんですよ」
戦艦が花型である時代はすでに過ぎた。だから大和は永遠に世界一の戦艦である。
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