« 1382 人間は考えても無駄である 土屋賢二 | トップページ | 1384 マタギ列伝(上)[新装版] 矢口高雄 »

1383 村上春樹の100曲 栗原慎一郎[ほか]

 図書館より。立東舎。著者が三人を超えたら[ほか]と表すのは図書館のルール。

 表紙がいい。そっくりな似顔絵が猫と一緒にレコード屋で物色している。

 『村上春樹を音楽で読み解く』が絶版になったため、メンバーが再集結した。当時は「村上春樹の小説に登場する音楽を軽く紹介するお手軽ガイド」という依頼だったが濃い本ができてしまった。今回は最初から濃い本を目指した。また当時から『騎士団長殺し』と『色彩を持たない…』の分が追加された。

 ジャズ、ロック、ポップス、クラシック、そして「80年代以降」という仲間外れ探しのようなジャンル分けだが、ハルキストならその意図がよくわかる。安保のあった60年代とその終焉を見つめていく70年代と、80年代以降では小説は別の何かを見つめている。また『神の子どもたちはみな踊る』も新たな転回点だと喝破している。女性を前にしてもその気にならない「更年期」だと。

*論理学者・大庭健の著書『私という迷宮』に寄せた文章「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」では、生業とする文学の意義に「継続性」を挙げている。「戦争や虐殺や詐欺や偏見を生み出しはしなかった。逆にそれらに対抗する何かを生み出そうと文学は飽くこともなく営々と努力を積み重ねてきた」のである。

*もちろん、前者(村上春樹)はフルマラソンを毎シーズン走るほどの健脚を誇り、後者(ブライアン・ウィルソン)はドラッグ中毒に陥り精神を病んでしまうという資質の違いはある。だが両者の作品が抱える主題――手の届かぬものへの切なる思いと身が捩れるほどの喪失感――が響き合うことは誰の目にも明らかだ。

|

« 1382 人間は考えても無駄である 土屋賢二 | トップページ | 1384 マタギ列伝(上)[新装版] 矢口高雄 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 1382 人間は考えても無駄である 土屋賢二 | トップページ | 1384 マタギ列伝(上)[新装版] 矢口高雄 »