1539 発達障害を生きない。 Aju 永浜明子
図書館より。ミネルヴァ書房。副題、“ちょっと変わった”学生とせんせい、一つ屋根の下に暮らして。
Ajuは教師を目指して大阪教育大学に入ったが、聴覚過敏や手順にこだわる特性、コミュニケーション能力の不足など発達障がいのためにその道を諦め、なんとかして大学で学び続ける決心をする。その面倒を見たのは担当教官の「せんせい」。自分の実家に住まわせ、まるで母親のように面倒を見る。Ajuが何気なく描いた新幹線の絵を見たせんせいは、Ajuに絵を描いて暮らすことを提案する。Ajuは病院食の点検というアルバイトをしながら好きな絵を書き続け、いつしか個展を開き、賞を与えられるようになった。
#「発達障がいって言われた」
Ajuは保健管理センターを訪問して、そのまま行方不明になった。せんせいや職員、学生たちは大学構内を探し回った。
#Ajuが保健管理センターを訪問する前に、馬場さんと私、センター職員とが打ち合わせをしていたが、まさか訪問初日に「発達障がい」の可能性を告げ、学外の病院受診を進められるとは夢にも思わなかった。学内連携のまずさを今も悔いている。
#特例子会社という場所にも見学に行った。大きな会社が国の定めた障がいのある人の一定の雇用率を守るために作った会社で、そこでは障がいのある人だけが働いていた。いろいろな人たちと一緒に働きたいと思っていた私は、その空間にいると閉じ込められたような気持ちになった。
Ajuは日本橋から堺の家まで歩く計画を立てた。神奈川に入ると風景が変わっていった。
#見えるものは山、木、草、花、雲、風、海、水、光、鳥、虫ばかりだ。直線や四角い形が見当たらない。事前調べでなんとなく想像はしていたけど、四角い形がそばにないのはとてもつらかった。
#グレーチングの四角い形を見て心をなだめることが多かった。
Ajuはビルや駅などを描くのが大好きだ。
Ajuは絵の収入でせんせいとその母親(母ちん)を懐石料理に招いた。
#収入の多い・少ないではない。Ajuが一生懸命に働いたお金で好きなものを買う、好きな人にプレゼントする、一緒に食事をする。これらがいかに大切かということに思いが至る出来事である。
#パチンコ屋さんの前を通って、ドアが開いた瞬間、心が乱れてイライラしてしまう。
#家電量販店も苦手だ。防犯のために設置されたゲートを通る時、高周波の音が耳にピーンと突き刺さるからだ。地下街もそうだ。ネズミ除けの音が、止まることなくピーンとなっている所を通るのは、とてもつらい。
#この頃推奨されている電気自動車も耳がつらい。
「カレンダーの景色」が見えて、何月何日が何曜日かわかる。
#考え続けた数日後、きれいな形が現れてきた。カレンダーの景色が一度だけ4と7の黄色い世界で覆われたと思ったら、今度は赤い半球が2つ現れた。その半球は、わずかにずれて球を作るようになっている。その周りを7つの粒が回っている。その形は1900年と2000年のカレンダーの暦を表していた。1年経った今は、どこまでも続く暦がわかる。
どうして忘れ物が多いか。洗濯を例に取る。洗濯は①洗う、②干す、③取り入れる、④片付けるの四つの行為からなる。多くのものは四つを一連の流れとして捉える。Ajuの場合、4つの行為それぞれは完結しており、つながりを持たない。洗濯機のふたを閉めスタートさせると、完結し、頭から消えてなくなる。
#『頑張らない、踏ん張ろう!』-せんせい-
疑問に思うことは、親はなにをしているのか。終盤父親は個展の陳列に才能を発揮する。母親は。明言されていないが、この一節が気になる。
#家族は、私のことが好きだと思う。だけど、「欠陥品」は受け入れられない。理解できないのかもしれない。私の家族の中には「欠陥品」なんて大嫌いで、「障がい者を生んだ覚えはない。本当にそうなら殺したくなる」と言う人もいる。私は生きていてはいけないと思った。それなのに、怖くなって逃げた。家族は、家族ではない。異なる一人ひとりの人間の集まりだ。
#特筆すべきはAjuの父の展示の才である。もともとデザイン関係の仕事をされていただけあって、休日を利用しては来宅、Ajuと意見を交わしながら、展示を完成された。
#時折、畑のベンチで一服される父の姿は穏やかそのものであった。
精神科医の田中康雄は、「生活障害」という語を提示する。
*発達というものは障害されるものではないと思うのです。すべての人たちにすべての発達のお約束がある。そのプロセスがせき止められることで、生きようとする姿自体に何かしらのつまずきが生まれる。ですから、それは「生活の障害」なんだろうと思うわけです。
#ASDは、ひととひととの関係が出現させる「人間関係」の一つである。また、「障がい」という診断を付すのであれば、ひととひととの「間の障がい」とすべきである。決して、個に定位されるべきではない。
#「自閉症スペクトラム」は、ひととひととの「間の障がい」であるというのが私たちの結論である。
乃村工藝社の窓から見える景色を絵にすることになった。
*私が景色を見える窓側と制作台を行き来しないことを不思議に思う人も多くいた。私は数字や形が好きだから、ビルの形や階数は映像になって残りやすい。数字を見れば視覚的に感情が広がっていくし、直線でできているビルはきれいでかっこういいので、いつでも頭のなかで思い浮かんでくるから、何回も往復する必要はない。
#私と私のそばにいてくれた人たちとの間には「障がい」はない。私側にあるものだと思っていた「障がい」は、ひととひととの関係性のなかで、生まれたり、生まれなかったりするものらしい。
#私は、「発達障がい」を生きない。
母ちんは新聞の「発達障害の女性アーティスト」という見出しに怒りを感じる。
#Ajuの作品の魅力は「発達障害」「女性」にあるのではない。
ただ、
#もしAjuが「発達障がい」でなかったら、この細密画だけで果たして大新聞に取り上げられ、NHKドキュメントにつながったか、と母ちんは自らに問う。答えはもちろん「きわめて難しい」である。
という客観性もある。
#なお「発達障がい」は先生とAjuがこだわる表記。「障」は自分にさしさわりがある=つらいことがあると捉えられるが、「害」は人に害を与える、または自分に「害」がある印象が強い。「障がい」って悪いこと? この表記に関してせんせいも主催者も記者さんたちにお願いしたが、思いはうまく届かなかった。
巻末には東京駅、あべのハルカス、ビッグベン、ワールドトレードセンターなどの細密画が並ぶ。都市を小さな星に凝縮した絵が印象的だ。
#規則的に並ぶ窓が大好きで。(東京駅)
#いっぱい線が描ける!(ハルカス)
この二つの台詞がいい。
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