1556 食文化からイギリスを知るための55章 石原孝哉 市川仁 宇野毅
図書館より。明石書店エリア・スタディーズ191。
このエリア・スタディーズは借りても二週間でも読み切れないので最近敬遠していたが、やはり読みきれなかった。二回借りて読んだ。
食事の歴史、食材、飲み物、地域の料理、文学における食べ物など、二十人の著者が自分の見地からいい意味で好き勝手言っている楽しい本。
ティーはお茶と普通のおやつで、ハイティーはあのタワーに乗せられた食事。
#中世においては基本的に1日2食で、朝食はなかった。これは聖職者が夕方から断食して、昼食まで食事をしないことを奨励したためである。しかし、断食を破る者が増え、「ブレイク・ファスト」と呼ばれた。しかし、上流階級はこれを蔑視し、依然として2食を守った。
#イギリス人がいかに牛肉を食べていたかはヨーロッパにもすっかり知れ渡り、イギリス人はパンもろくに食わず、スープも前菜もなく、食事の始めも終わりも肉を食べるといった風評が駆け巡った。ことにフランス人の間では、ロスビフ(Rosbifs)が軽蔑的にイギリス人を指す隠語となった。
#ステーキは最初イタリアから生まれたという説がある。メディチ家時代のフィレンツェでは、毎年8月10日に守護聖人ロレンゾの祭日がある。その折は大きな篝火がたかれ、そこで巨大な牛肉が焼かれた。これがビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(bistecca alla fiorentina)の起源である。ある時、イギリスの騎士たちがこの祭りに参加し、この肉が大いに気に入り、何度も何度もおかわりを求めた。フィレンツェの人たちはこれを口真似し、ビフステイキ(bif steik)となり、これからsteakという言葉が定着したという。
*ペール・エールとビター; 本来同じものだが、醸造業者はペール・エールと呼び、消費者はポーターやマイルドといったほかのビールと区別するために、ビターという呼称を使用した。
ジョージ・オーウェルのことを「イギリス随一のポレミックな作家」と評している。ポレミックを調べる。"polemic" 「論争好き」とか「反対の意見に敵対的な意見を述べる」というような意味。著者は、脱稿の年の1948の48をひっくり返し、「全体主義国家は1984年まで続く」と考えていたのだろうか、と思案している。
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