ニフティ35周年に寄せて
大学は寮生活でピンク色の公衆電話が一つあるきりだった。だからパソコン通信を始めたのは就職して下宿に入ってからだ。1990年代なかほどの話。そこでは自分で電話に加入するスタイルだったので、そこにモデムをつなげた。MSXマガジンの「みんだなお」の漫画を見てパソコン通信を始めてみたいと思った。雑誌に乗っていたローカルパソコン通信サークル(なんて呼んでいただろう)の紹介を見て、気楽そうなサークルに入った。通信速度は2,400ボーか4,800ボーだったはず。当時読んでいた雑誌は98マガジン。ときどきネットワーカー。通信ソフトはW-TERM。
ローカル通信に物足りなくなって、大手に参加することにした。当時はPC-VANとNIFTY-SERVEが二強だった(相対的な話。社会の知名度はそんなでもない)。どっちでもよかったのだけれど、NECは大メジャーだったので判官贔屓でニフティに入った。14,400ボーのモデムを買って速さに驚いた。今までのモデムは文字が左から右へ書かれていくのがわかるのだ。ところが14,400ボー(そろそろボーと言わなくなってきたはず)のモデムは文字が瞬間的に表示される。通信ソフトはエアクラフト。永続利用の送金をした直後にパソコン通信をしなくなったので、もったいなかった。
出入りしたフォーラムはMSXと、(できたばかりの)サッカーJリーグ。京都サンガが昇格したばっかりで弱かったけれど、雰囲気がよかった。チャットもやってみた(なぜかCBと言った)。フォーラムはFの文字で始まる。FMSXのように。だから風呂に入ることをFUROと書き、「うろ」と読んでいたことを覚えている。こう書くと何も面白くない。寝るときは「おやす~」だった。
初心者が操作を学ぶフォーラムがあって、「何番に移動して」→「おめでとう」とゲームブック方式だったのが楽しかった。
ウィンドウズ95が発売されて、インターネットの認知度が上がってきた。地元のCインターネットというプロバイダに加入した。これで自分のホームページを作った。日記や書評、当時好きだったカクテルのレシピ、英書の翻訳などを書いていた。掲示板というものがあって自分の書いたものに一言が寄せられるのが楽しかった。旅行にはノートパソコンをクルマに積んで、PIMCIAカードでケータイ電話をつなぎ、低速だがネットにつなげて喜んだ。
いつかは覚えていないが地元Cインターネットからニフティに乗り換えた。Cではときどき通信障害が起き、それは上流のトラフィックの問題なので「C」では解決できないこと。ウェブログというHTMLの知識がなくてもささっと日記が書けるシステムが導入されたこと、が理由だと思う。
それから20年。インターネットの書き込みは「見つかって訴えられるんじゃないか」「証拠にならないようにしよう」という後ろ向きな場所になった。コモディティ化というやつだろうか。時代の先を行った人たちだけの遊び場だった。
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